Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

Usotsuki Online

Do you believe in the magic of make-believe ?

朝から自由が丘に出掛けてその足で中目黒と代官山をブラブラ。うっかりリジッドデニムを買ってしまった。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

今にも降り出しそうな曇天だったので早めに帰宅し、4 時頃から村上春樹の新作を読み始めた。なんだかそれに相応しい日に思えたのだ。外はまだ明るいのに辺り一面には雨の匂いが立ちこめ、剥き出しの間接照明が部屋を照らして窓に映り込み、その向こうには驟雨の予感に身を細める庭が見える。とても静かな日だった。コーヒーを淹れ、買ってきたドーナツを食べ、お気に入りの椅子に座って読み始め、途中で一息ついて少し大きめの音量でクラシックを聴いた。薄暮の頃に音量を絞り込んでからベッドに潜り込んで再び読み進め、結局 7 時頃に読み終えた。

f:id:wiv:20130420170320j:plain

相変わらず巧いとか再生だとか喪失だとかそんな通り一遍の感想は出てくるのだけどここでは脇に置いておいて、読み終えてまず思ったのは、世間的な評価は全く知らないけれど、「ぼくは」この小説がとても好きだということだった。村上春樹のハイエンドとなる作品ではないかもしれない。例えば『1Q84』のように、濃密に深く深く内面に踏み込んでゆく作品ではないかもしれない。けれど僕はこの作品がとても好きだと感じた。これは言ってみれば『国境の西、太陽の南』のような作品なのだ(僕はこの作品もとても好きだ)。作品に大掛かりな仕掛けは無いけれど、現実の世界で喪失を裡に秘めた「誰か」の──というよりも「彼ら」の──ことがとても淡々とミニマルに、けれどある面ではぞくっとするほどリアルに描かれている。色彩を持たない多崎つくるは駅のベンチに座り、あてどなく行き交う人々を眺める。その描写がなんだか僕の心に柔らかく触れ、眠れない夜の帳に低く聞こえる室外機の音や、遠くに響く誰かたちの嬌声や、或いは夏の夜に残光を揺らして過ぎ去る列車の姿を思い起こさせる。闇の中にひっそりと流れる小川のように淀みなく、多崎つくるは物語のあるべき姿を辿ってゆき、気がつけば読者たる僕はそれにただ身を任せるだけとなって物語に取り込まれてゆく。よりシンプルで、ミニマムで、実際的で現実の世界に寄り添うように描かれている作品だからこそ、それがますます読者を物語の世界に誘い込む。読み終えて暫く呆然となった。こんな作品が描ける村上春樹は、やっぱり凄い。「深度」という意味では他の作品に後塵を拝すかもしれない。そして「深度」が深ければ深いほど、或いはその枠組みが大きければ大きいほど、物語はより多くの人々に普遍的に訴える力を持つのかもしれない。でも、一部の人達にしか伝われないかもしれないけれど、その人達により「ぴったり」と、自然に沁み込んでくる物語だってある。僕にとってこれは、そういう種類の物語だった。