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Do you believe in the magic of make-believe ?

SDIM1425

色々と本を読んでいるはずなのにすっかり記録していないので何を読んだのか忘れてしまった。

佐渡の三人

佐渡の三人

もちろん、世間の多くの人が「冗談めかす」ということを知っているし、する。冗談めかすことで、深刻ななにかを相対化する。他者に心配をかけまいという優しさを発揮する。

長嶋有は久しぶりに読んだ。相変わらずなんだけど今作はいつも以上にメッセージ性の強い作品だったように思える。

PK

PK

「臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する」

伊坂幸太郎も久しぶりに読んだ。彼の作品は殆ど読んでいるけれど最近は比較的寡作に思える。相変わらず小説は抜群に巧いのだけど、中期以降の伊坂作品らしくそこにはどうやっても運命論的な視点が入り込んでいる。

「決断を求められる場面が、人には突然、訪れる。勇気の量を試される」

伊坂幸太郎の作品は初期から明確に人の「悪意」を描いていた。巨大な「悪意」に対して正面から向き合うのが村上春樹の作風であれば、初期の伊坂幸太郎のそれは「横道に逸れる」ことだった。「悪意」と正面から向き合わず、横道に逸れる爽快さを重視していたように思える。

「でも、戦争とか地震とか、そんなに巨大なことが起きたら、みんな一緒に巻き込まれるんだからそれはそれでいいじゃない。どうにもならないし、それに自分だけ生き長らえようとするから、苦労するんだよ」

つまりこういう視点だ。そして恐らく多くの読者(もちろん僕も)がこのような考え方をしているのではないだろうか。けれど伊坂幸太郎はある時期から明らかに態度を変えている。『魔王』あたりでその片鱗は顕れ、『ゴールデンスランバー』『あるキング』から彼の作品には陰鬱な影が付き添い始めた。試行錯誤を重ねた末『マリアビートル』では遂に純粋な「悪意」や「暴力」を体現するキャラクタを登場させ、新幹線という小さな場に大きな物語の枠組を固着させて巨大な力に立ち向かう人の意思を描こうとした。伊坂作品の集大成になるかと思われた同作品はしかし、最後にはやはり横道に逸れてしまった。主人公達は運命に抗うことは出来なかった。では今作はどうだったのだろう?

「うまく言えないけど、そういう連なりが世の中を動かしていくのかもしれないよ。小さな変化の積み重ねが、まったく予想しない、世界の変化に繋がるの。で、いろんな人がいろんな場面で、何か命令を受けていたりして」

「君はよく分からないことを、当然のように喋る」いつもの妻とは違う、と作家は気づいた。これは妙だとようやく察する。

「でも、そう考えれば気楽でしょ」妻は穏やかに目を細めた。「人間が、ある時、何かを試されたとしても、それは、あなたがくよくよ考えてもどうにもならない大きな力の作用に過ぎないの。そう思ったら楽じゃない。並んだドミノの一つが抵抗しても、倒れる時は倒れるし」

「じゃあ、私はどうすればいいんだ。大きな力が、私たちを動かしているのだとしたら、私の意思や決断に意味はあるのか」

「簡単だよ。何をしても、大きな影響がないんだったら」

「だったら?」

「子供たちに自慢できるほうを選べばいいんだから」